野呂元士(のろもとし) 無農薬野菜の生産者。 1962年、三重県多気郡多気町(旧・勢和村)出身。 県立松阪高等学校、三重大学農学部農学科(現・生物資源学部)卒。 卒業後は青年海外協力隊に参加。 大学で学んだ養鶏の技術を指導するためドミニカ共和国に渡る。 3年間の協力隊員生活にピリオドを打ち、1988年帰国。 野菜栽培の技術や環境などを学ぶため松阪に本社を置くクラギ(株)に入社。 1年後、自身での農業をスタートさせるために退社。 生活費を捻出するために、塾講師と農家の二足のわらじで、農作物の研究と生産を続ける。 現在は、専業農家として2haの圃場で野菜生産に励む。 契約農家として無農薬野菜販売店や生協に新鮮な野菜を卸す他、「野菜セット」商品を広く県内外の顧客に提供している。 既婚、3人の子どもを妻と育てる寡黙な父親の横顔を持つ。





2015年最初の発行となったミエノコ第7号。 今回も、ミエノコの主旨にご賛同いただき、快くご支援いただいた広告主様とご協賛スポンサー様、そしてミエノコを応援していただいている多くのミエノコファンの方々に、改めて御礼を申し上げます。 ありがとうございました。

今回のゲストは、多気町の農家、野呂元士さん。 野呂さんの作る野菜は多くの愛用者から「感動する野菜」と呼ばれている。 いくらなんでもオーバーだろうと思いつつ、その後野呂さんを訪ね、「もう旬をちょっと過ぎちゃったものしかないけど」とわけていただいた野菜を食べてみてすぐに納得。 感動するという言葉の意味が理解できた。 今や多くのリピーターを抱える、いわゆる売れっ子農家の野呂さんだけど、生い立ちを聞いてみると、やっぱりちょっと変わった人だなあというのが正直な感想だ。 きっと今回のミエノコを読んだ方の多くがそう感じたのではないだろうか。 でも、だからこそである。 かつてアップルが、世界を変えると本気で思っている、そんなクレイジーな人だけが本当に世界を変える、という広告を打っていたけれど、野呂さんもまた、感動する野菜を作る、ひとりのクレイジーであり、なるべくしてこの職業に就いた、そんな「天」から与えられた「才」を持つ人なんだあと強く感じた。

ミエノコは、「三重県生まれの偉大なるクリエイター達」を紹介するフリーマガジンだ。 ではなぜ今回のゲストが農家なのか、と思われるかもしれないけど、農業という世界は、ものすごくクリエイティブな世界だと思う。 クリエイティブとは、「創造性」または「創造的であること」だ。 野呂さんから、野菜を育てるいくつもの課程と、その都度都度で行う数々の創意工夫、24年のベテランですら、美味しい野菜を作ることの難しさと毎年対峙し、日々挑戦と失敗を繰り返す姿を知った時、それは僕の中で確信となり、その創造性の深さにまた、感動を覚えた。 ご存じの通り、日本の農業は現在、かなり厳しい局面に立たされている。 海外製の台頭もそうだが、やはり後継者不足の問題が大きい。 多くの若者にとって、農業は職業の選択肢に入っていない。 そこにはきっと、この農業という世界の深いクリエイティビティを知らない、または上手く表現されていないことも大きな原因なのだと思う。 であるならば、僕らのような、デザインを生業とする者の責任もやはり大きい。 このクリエイティビティをどう若者へ伝えていくか、今後の大切な課題にしたいと思う。

実は、この編集後記を書いている時、ひとつ嬉しいニュースが飛び込んできた。 野呂さんの三女が、突然、野呂さんの跡を継ぐと言い出して、今年、無事に農業高校への受験に合格したそうだ。 取材の時、野呂さんは、「農業は大変な仕事だから、誰にも継げとは言えないよ」とおっしゃっていた。 でも、他の誰でもなく、野呂さん自身が、農業という世界のクリエイティブさやおもしろさに魅せられ、そこにおもいきって飛び込んで、現在がある。 僕はずっと思っていた。 農業に限らず、その職業を誰よりも心底楽しんでいる人のオーラは、きっとまわりに伝染する。 だからきっと、野呂さんのまわりには、僕もやりたい、私もやりたいと思う人がいつか現れるはずだ、と。 今回の出会いを機に、野呂さん同様、この三女の挑戦も、ずっと応援していきたいなあと思う。


発行人・編集長 丸川竜也